投稿者アーカイブ Shinji Sawane

投稿者:Shinji Sawane

急増中、組織内外のハラスメント

最近の流れの中で、ハラスメントに対する企業の対応が重くなってきているような印象があります。ハラスメント対策委員会を作ってしっかりと対応していくことは基本としても、その対象がどんどん増えているのが実情です。検索サイトでハラスメントの種類を調べてみると、20~30種類のものが見つかります。もしかすると、もっと実際には多いのかもしれません。セクハラやパワハラなど認知度の高いものから、あまり聞かないようなものまで様々です。

対策委員会にあがってくるものは、それぞれ状況が異なります。ハラスメントではなく犯罪として捉えていいようなものから、人間関係のこじれのようなものまで様々です。それぞれが当事者にとって大きな問題ですので、丁寧に扱っていく必要がありますが、それだけでは治まるものでもありません。リアルタイムの問題だけでなく、どうしても予防措置的な対策が大切になってきます。

この予防措置、知識を入れることで解決する部分ももちろんありますが、それだけでは実際にはすまないことが多いと感じている。習慣化された言動がハラスメント化している場合は知識だけの問題ではありませんし、時間は掛かりますが、自分の特徴や傾向、感情の理解など様々な角度から行動変容を促していく必要があります。習慣化している人の多くには、それが当たり前であったり、むしろ常識と思っている事さえあります。場合によっては、正義感から生まれていることすらあります。特に仕事を理由にした時には、被害者側がまるで悪者のようになることすらあります。仕事への責任と、指導、対応、育成など、それは本来は両立すべき物ですが、その部分の丁寧さがどこか忘れられているようにも思います。スケジュールや品質への責任等、果たすべき責務はありますが、その中に人を大切にする部分も含まれてなければ、本当に対策にはならないと感じます。

企業や団体では体制的に構築されているところは増えてきました。一方で、踏み込んだ形で予防措置まで手をつけているところはまだまだ多くはありません。実際の面接の現場では、そういった予兆を感じることも多くあります。対策委員会を持ち個別対処することと並行して、カウンセリングの現場から見える予兆を受け、状況を把握し、対策を打ち、未然に防ぐ、このサイクルを時間をかけてしっかり確立していかないと、なかなか沈静化しない問題だと捉えています。

投稿者:Shinji Sawane

対話型の研修、気づきと主体性

研修というと、講師から受講者に対して知識や情報を伝えていくもの、あるいはディスカッション型、ロールプレイ型など様々な形が存在します。そんな中で、私が大切にしていることは、対話型と言えるようなものです。それは、受講者と本当に対話をするような意識で行うもので、私自身の主観ではありますが、余韻や間、を意識したものでもあります。

特に管理職以上の時には意識するのですが、それぞれご経験と知識を持ち合わせた皆さんと向き合うときに、もちろん伝えるべき内容、あるいは依頼を受けた内容があるにせよ、その伝え方には工夫がいると考えています。この対話型、というのは、必ずしも常に双方向というわけではないのですが、受け手の皆さんが、さも自分に対して伝えていると思うような伝え方を意識しているものです。

基本的には、より具体的な当事者目線での問題提起、現状しているであろう努力、その結果、その他の選択肢、可能性など、一般化より具体化、そして、間と余韻、を意識して受け手の方に残るような表現を意識するものです。だからこそ、事前の状況把握は大切になってきますし、事前に組織の皆さんと対話を行っておくことは、より効果的な結果を生むように感じています。

単独の研修であれば、知識や一般化したものが中心となりますが、現場でカウンセリングという形で対話を深めてあれば、より効果的な内容にすることが可能となります。それは、組織マネジメントの一環として取り組むことでもあり、継続的に対処していくことが可能になるものです。そうすることが、人材育成、組織マネジメント、ストレスマネジメントなど包括的に組織を支える力となっていくように感じています。

このような研修後の参加者の表情を見て、言葉を聞いてみると、気づき、主体性というものが生まれていることを実感できます。そういった声を感じるたびに、ひとつの大切な形だと実感します。

投稿者:Shinji Sawane

マネージャー研修、その視点

ヒトらぼでは、マネージャーの皆さんと対話する機会も多くあります。個人であってり、全体の研修で会ったり、その形は様々です。

どこの企業や組織であっても、管理職になる方は、知識や経験があり、必要とされる立ち位置にあります。だからと言って、いいパフォーマンスが出ているのか、信頼される存在に慣れているのか、という観点で見ると、上手くいっていないケースがあります。多くの書籍や研修などので、基本的な知識をお持ちの方は大変多いです。ところが、それがなかなか上手くいっていない、その結果が組織全体の停滞感やパフォーマンスの低下に繋がっていると言えます。

こういった場合、経営者も当事者である管理職の皆さんも、うまく行っていないことには気付いていますし、何かしなくてはいけないことにも気付いています。そんな状況で、正しい知識、を入れ直すことは必ずしも効果的ではないように思います。

そこは単純な話で、組織には歴史があり、人にも歴史があり、関係性にもその積み重ねがあります。そうなった時に、今、組織で何か起きているのか、それまでどんな努力をしていたのか、そして、関連する皆さんがどんな思いでいたのか、そこを忘れてしまうと正しい知識は効果的には働きません。

言い方を変えれば、今の組織の現実に即した形に変えていかなければ、受取ってはもらえないということです。それは出来るだけ、具体例に沿った形、それもその組織の現状にあった形である必要があります。

そういった内容を個性に合わせた形に微調整して提供できれば、聞いてくれている皆さんの目が変わります。もともとお持ちだった責任感や不全感を払拭するための火が心に灯ることになります。変化には気づきとエネルギーが必要です。その両者が内側から生まれるプロセスこそが、大切なものだと感じています。

「ズシンときた」「心に火をつけてくれた」

こんな言葉をいただけたとき、お話しして良かった、お伝えして良かった、と感じることができる瞬間になります。。

投稿者:Shinji Sawane

丸投げのマネジメント、自己流の権限

企業の中にはいくつかの部門があり、非常に小さな組織になることがあります。量販店など小売りに関わる職場では、その傾向が強くなることが多いようです。そういった場合、悪意のない問題が起きることがあります。背景にはマネジメントが届かない、あるいはできないという問題が隠れている傾向が強いようです。

そのような問題が起きる職場では、専門性が比較的高く、慣れている人ほど重宝がられていきますが、経験値が上がれば上がるほど、その人に丸投げする傾向が強くあります。当初は期待されていると受取ることができますが、やがてそれが事実上の放置であることに気づき、会社に対する不満と同時に、その職場に対するあたりの強さに変わっていきます。経験があるわけですから、誰よりもわかる存在であり、指導的な立場になりますが、一方で、丸投げ状態ですので、指導される経験がありません。その結果は、自分が基準となるやり方となり、自分のやり方に合わない人を責める傾向が強くなっていきます。

責められる側が割り切って、相手に合わせていくような場合は大きな問題にはなりませんが、おかしいと声を上げる人であれば、職場内に波風がたっていきます。指導する側は、そのやり方しか知らないわけですが、責められる側からすれば、納得いかないやり方、としてしか見えないため、落としどころが難しくなります。ここで冷静に問題を把握せずに、声を上げている人を問題にしてしまうことは最善とは言えません。

起きている出来事に対して、本当にどこに問題があるのかという視点はどんなケースでも必要になってきます。この手の問題は、どちらかが退くことがわかりやすい解決ですが、次に同じ問題を起こさないために、という観点が抜け落ちては意味がありません。こういった場合には、実は問題解決型のマネジメントだけではなく、対話型のマネジメントを使っていくことが胆になります。普段から会話ができている、この単純なようで難しい課題にしっかり向き合えている場合は、もっと早い段階で問題を回避できているように思います。

このような問題のケース、対話型のマネジメントとして捉えると、どちらも被害者として見えてきます。組織として非常に良くない状況でもあります。そんな状況に陥らないためにも、普段からの双方向の会話、できているのかどうか確認することも大切だと感じています。

投稿者:Shinji Sawane

退職者への敬意、配慮、当たり前のことの欠落

仕事は長く続けるもの、そんな時代から、転職が当たり前、あるいは働き方そのものが柔軟になっている時代でもあります。仕事を辞める、ということは、ライフキャリアの中でもひとつの小さくはないイベントでもあり、私たち自身に当然起こりえるものでもあります。労災など不幸な形で身を引かざるをえない方も多くいらっしゃいます。

今回は自主退職、という形で少し感じていることになりますが、自己都合退職の場合、あまり好意的に取られないことが多いようです。どの分野でも人が不足しているという現実に立ち返ると、人が辞めることは自分の負荷が増えることも一因となっているようです。しかし、特に役割をお持ちの方に感じて知って欲しい、理解して欲しいことですが、辞める人への対応は、基本的に「気持ちよく辞めてもらう」ということなのです。もちろん犯罪行為や繰り返される就業規則違反が原因の場合はその限りではありませんが、期間の長短によらず、辞める人への配慮は大切なことなのです。

実際に現場の中では、首を傾げたくなるようなことも起こり得るものです。例えば、本来であれば役職定年で一線を退いて支援側に回るべき存在、そんな人に自分たちが出来ない無理な仕事を押しつけ、追い込む、その結果辞めざるをえなくなることも実際には起きています。また、思いを持って仕事を始めようとしても、全く違う理念に困惑し、自ら身を引くケース、仕事ができないと無視をするようなケースも実際に起こっています。当事者は気付かないことが多いですが、仕事を利用した虐めの構図な訳です。

なぜ、退職者に「気持ちよく辞めてもらう」のか、当たり前の事ですが、辞めた瞬間にお客様あるいは利用者になるということなのです。嫌な思いを持って退けば、嫌な話をせざるをえません。それがどういう形で広がるかという経営や風評の問題と、もっと大切なことは、辞めるに値する理由を誰が作っているのか、ということなのです。

前者の場合は、長く活躍した人が、最後の最後に全てを否定されるような形で退かなくてはいけなくなるという事実、これはマネジメントの問題が実際にあることが多いわけです。後者の場合は、教える側の能力の問題であるにも関わらず、教えられる側の問題にすり替えてしまうこと、自分たちが正しいという勘違いを共有できる仲間が力を持つことが背景にありました。

仕事は誰しも上手くやりたいと思っています。貢献したいと思っています。
その力を上手く引き出すことが出来ていれば、満点ではなくとも、それなりの貢献はできます。それを待てないほどの危機感が現場にあることも実際問題として存在しますが、本来であればそこは経営の問題になっています。なぜなら、このような問題が起きる組織は、掲げている理念とかけ離れたことが現場で行われているからです。そこに気付くことができれば、このような不幸な出来事は減っていくと考えています。

人も組織も縁、そうであれば、辞める人に対して、気持ちよく辞めてもらう、そんな配慮ができる現場であって欲しいものです。

投稿者:Shinji Sawane

蓄積する疲労、今までと違う暑さの影響

猛暑、という言葉では不十分なような連日の暑さ、身体には大きなダメージが蓄積されています。水分補給はもちろん栄養をつけることも含めて対策が必要ですが、蓄積する疲労に対しても注意が必要です。

仕事や役割をお持ちの方は、どうしても責任感から頑張ることを常としています。それは素晴らしいことでもある一方で、今回のような環境の場合には、必ずしもいい方向にばかりでるとは言えないことがあります。役割がある以上、どうしても期待される立場がありますし、果たすべき責務があります。疲労した心身であっても、やらなくてはいけないことは山積みです。

その際に、その状況をわかってくれる人、もしもの時に相談出来る人、その存在は大きな後ろ盾になります。組織の中で、役割の関係性の中で、その存在がいるかどうか、よく見直していただくことを意識する必要があります。心身に蓄積した疲労は、気持ちが折れるのに十分な下地となります。誰かが倒れてからでは、連鎖的に起きる可能性も否定できなくなります。

これだけの環境の変化のなか、これまでの普通ではなく、当たり前にこなしていた仕事や役割が、今まで以上に過酷な状況になっているということを、人を守る、支える立場の方は強く感じていただければと考えています。実際に、異常、と思えるような状況も起きつつあります。

組織、人を動かす立場の方にとって、人を守る、支える時期、それを違えないことも大切な責務になります

投稿者:Shinji Sawane

権限と責任、当たり前でもできていないこと

責任と権限、当たり前のことであっても、実際には、この責任と権限が合っていないことが多くあります。責任は乗ってくるが権限がない、と嘆く役職の方は多くいらっしゃいます。それでも必死に役割を全うしようとしますが、権限のない中では効果的な動きをできずに、結果的に自信を失ってしまいモチベーションを落としてしまう、ということが多いようです。

組織の中で、なぜ権限を委譲でないのか、どこの企業にもある問題であり、なかなか本質的な改善ができない問題でもあります。まだ与えるレベルにない、ということを理由に挙げる方もいらっしゃいますが、そうするとなぜ昇格させたのか、という別な問題が現れてきます。

実際に多くの組織の中で問題を見てくると、昇格の考え方と育てていきたい方向が分かれてしまっているところに原因がありそうだと感じます。

ひとつは、昇格の条件。何かしらの判断基準があって、それを超えると昇格、という考え方はどこの企業にもそれなりに存在しているようですが、その条件は必ずしも明確にはなっていません。もちろん人が人を判断するところですので、曖昧さ、の存在は否めません。それ自体には問題はありませんが、その段階で昇格候補の特徴をどう把握して、今後、どう伸ばしていくのか、それは誰の役目なのか、という観点は抜け落ちていることがほとんどです。

ふたつめとして、昇格後の指導ができていない、という点です。フォローする体制がある組織は確かにありますが、実際問題として具体的に業務に直結する形でフォローをしっかりしているところはあまりないように感じます。そこに見えてくるのは、上位者がどうフォローしていけばいいのかがわからない、という観点に繋がっていきます。結果、何もフォローできず、成長のポイントも把握できていないので、権限も渡せない、結果ダメ出しをするか、なぁなぁの関係になるところに落ち着きます。

これは、組織として人を育てる方法、人を伸ばす方法、が見えていないということでもあり、ゲートはあっても、支援する仕組みはないことを意味します。結果、この問題は最前線で頑張る一般職にとっての不利益という形で表れてきます。最終的には、いい人材がモチベーションを上げられずに埋もれてしまう状況になっています。

権限を私ということは、結果を保証するものではありません。上司が結果を受け入れる覚悟を持つからこそ渡せるものであり、言い方を変えれば、結果の保証を求めるのであれば、人の上に立つべきではありません。その判断をできない人が上長として存在するときに、組織の責任と権限の問題が生まれてきます。

権限を渡し、結果を受け入れることはとても勇気がいることですが、権限を渡さない人はその覚悟がありませんし、その覚悟をもった人であれば、その思いを感じるからこそ、部下は勇気をもって歩くことになります。上司と部下の関係、特に部長クラスと課長クラスの関係が組織の中ではキーになってくると感じます。勇気をもってチャレンジできる課長、その課長を支える部長の関係となれば、組織内のいろいろなお手本になる、そう思うのです。

投稿者:Shinji Sawane

言い方が気に入らない、経営者の言葉の裏側

たくさんの人とお話させていただく中で、「言い方が気に入らない」という表現はよく聞きます。言われたとおり、その通りの意味であるわけですが、実際には言い方を変えても受取ってもらえないことの方が多いように感じます。人に何かを伝えなくてはいけない時に、表面化してくる場合でもあります。

多くの場合、何かしらの指摘、提案をするようなケースでは、相手方が困っている、ということが前提として存在します。それに対して、真っ直ぐに〇〇が違っている、〇〇が問題だ、と端的に伝えることはわかりやすそうな一方で、受け取ってもらえない条件があると感じています。その困っている内容が、その人にとってどの程度消化されているのか、意外にも抜け落ちていることがあります。

心理の専門家の場合、個人であっても企業であっても、その人の話題にしたい内容が、どんな位置づけにいるのか、そこは把握する必要があります。ところが、相手が企業や団体、何かしらの役割を持っている場合には、その部分を考えないままに伝えてしまうことが多いようです。ある意味、ビジネスと割切れば、それも問題はないのかもしれませんが、実際にはそれを忘れてしまうと、双方がわかってくれない、わかってもらえない、という状態に陥っていきます。

個人の場合は、もう来なくなるでしょうし、企業の場合は契約が打ち切られることもあるでしょう。お互いが、なんとか解決しようと考えているにもかかわらず、とても勿体ないことです。そうすると、この「言い方が気に入らない」と言われてしまうような、あるいは言われてしまったシチュエーションでは何が大切になってくるのか?

実は多くの場合、言い方ではなく、言う内容が合っていない、ということになります。言っていることは恐らく正しいのでしょうが、その問題の消化具合によって、言う内容は変える必要がある、という観点になります。この部分は生もののようにライブで感じ取ること、学ぶことが必要ですが、その言葉をいう前に、何かしらのサインが出ていますので、そこに気づいていくことも大切になります。

相手をよく理解すること、とても基本的なことですが、理解したと思ったときに落とし穴が突然現れるわけです。それは、まだ理解していない部分がある、ということでもあるわけです。特に経営者、役割のある方が「言い方が気に入らない」という場合には、よくよく現実を見直す必要があります。成熟した経営者が話を聞くときには、誰が言ったか、ではなく何を言ったか、を基本にしています。その方が「言い方が気に入らない」という空気を醸し出す場合には、「今は受け取れない」に近い状況なわけです。そこに気付くことができれば、言う内容を調整していくことが可能となります。

だからこそ、よく聴く、理解する、ということは終わりなく意識し続けることとして大切なわけです。

投稿者:Shinji Sawane

人に教える、追い込む教え方に気づく

職場で新しい人が入る際には、必ずだらかがその仕事を教えていくことになります。マニュアルがあってその全てが上手く理解できるような状況であればいいのですが、必ずしもそのような状況にはなりません。多くの場合、基本形があっても、柔軟さを求められる、というのが現実解ではないかと思います。

ところが、この基本形と柔軟さ、この両者は矛盾を生むことがあります。この矛盾は、教える側は通り過ぎたこととして理解できますが、教えられる側は、そう簡単ではなく、これがその人を追い込んでいくことにもなります。

例えば接客の場合、〇〇してはいけない、△△と聞いてはいけない、などの基本形があることが多くあります。ところが、そのNGワードは、多くの人が使いやすいものであるからこそ、NGとされているわけです。このNGとされる際には、当然、現場での経験、考えた人の思いがあり、意図があるわけです。しかし実際には、ルールだけが残り、その意図はどこかにおいて行かれることになります。

そういったケースの中で、NGを先に教えられた場合、当然、使わないようにするわけですが、接客中に会話が行き詰まったり、気まずくなってしまったときに、NGワードが出やすくなってきます。これらは、オープンクエスチョンであることが多いようです。お客様の回答の選択肢が多いため、接客する側としてはクローズとクエスチョンを好むところも多いようです。

ここが意図になるわけで、お客様が決めやすいようにクローズドクエスチョンを主として使っていく、ということが狙いであるわけで、NGワードにすることが狙いではないわけです。また、お客様に気持ちよく買ってもらう、お客様を大切に扱うという観点からすれば、お客様の選択肢を広げることは悪ではないわけです。様々な状況の中で、折り合いをつけて接客をしていくことが柔軟性なわけで、NGワードを作ることが大切ではないのです。ところが、教えやすさから、NGワードを作り、実際の接客では教える側はお客様にNGワードを言うことがある、そういった姿を見せられる側は、一体なんなんだろう?と感じてしまいます。これはある意味、二重拘束のような状況で、教えられる側は日々NGを指摘され、実際の現場で違う姿を見せられれば、考えることすらできなくなっていきます。

人に教えるということは、伝えるということ、ダメだしや禁止だけではなく、意図をしっかり受取ってもらわなければ、曲がって伝わってしまうことも多くなります。そうなっては、本末転倒で、優秀な人材であっても辞めざるをえないような状況に追い込まれていきます。

指導は上から目線で出来ない人に教えるのではなく、自分が教えるべきことを的確に説明可能な状態で理解しているか、という自分に対する問いかけでもあります。その意識が、教える側の成長に繋がって、結果、教えられる側に伝わっていくことになります。

伝えることができている指導になっているか、考えてみることの大切ではないでしょうか?

投稿者:Shinji Sawane

矯正ではなく、人は育つ、を支える~販売店、飲食店の人材育成から

どこの企業であっても、人材育成、教育というものは大切だ、と考えていると思いますが、実際問題で見てみると、なかなか大切にできていない現実があるようですし、それを解決できないもどかしさに直面しているように感じます。基本的に、販売店や飲食店は人の出入りが激しい分野でもあるため、その実態を掴みにくいということも背景にありそうです。

多くの場合、新規開店の場合には、多くの努力とリソースを投入して、しっかりと基本的なことを教えていくということが行われています。それは、軍隊かとおもった、と思うくらい厳しかったという声もありますが、それでしっかり教えてもらえた、とポジティブな表現をする方が多いように思います。もちろん、開店という大きなイベントに参画できているという高揚感、無事に乗り切った達成感というものが短期間にえられるため、大変だけどやりがいがあった、と言える環境が整いやすい状況とは考えられます。

この山を乗り切ったあとに、徐々に問題が表面化してくる、というケースも目の当たりにするのが現実です。やや安定し、集客の波を含めた状況が読めるようになると、動機付けの仕方がとたんに難しくなります。厳しいときを抜けてきてるため、個々の責任感はあるのですが、それがうまくかみ合わないことが起きています。それは、ちょっとした接客の仕方、指摘の仕方、ルーチン作業のやり方など、きっかけは様々です。そういう状況が続くなかで、新たに採用される人が入ってくることになりますが、ここから大きな問題が解決されないままで浸透していくことになることが多いようです。

ここからの教育、それそのものが、多くの場合は店舗に任されていきます。その結果、店舗のスタッフの大切にしていること、コツのつかみ方など、それぞれが当然異なりますので、様々な角度で「よかれと思ってアドバイス」をしていくことになります。特に若くして責任を任される人に多くなるのは、指導しなくては、教えなくては、という強い責任感が、育つために必要な時間を忘れさせてしまうことが多いように感じます。教える側の焦りは、教えられる側への攻撃性に緩やかに変わり、本人にその気がなくとも、人を否定的に指導するやり方が増えていきます。自分も厳しい中を乗り越えてきた、という自負があることが、結果的に人を追い詰めていく不要な厳しさになっていくこともあるように思います。実際に現場で、矛盾したメッセージの発信、不信感を招く・人を否定する表現、気づいていて止められない追い込み、などとして現れているようです。現場の話を本当に聴いてく、そういったマネジメントの定点観測をしていくことから見えることの一部です。

人を育てるというのは、とても大切なこと。ただ、その前提として、人はその人のリズムで育つという考え方は必須だと思うのです。お店の理念や価値観、経営者の思い、はとても大切なものです。多くの場合、共感できる素晴らしい内容です。ところが、現場の実態は、その素晴らしいものとは矛盾した現実があります。それは、理念を体現するだ時期ではない人に、教育を任さざるをえないという現実があります。教える側、教えられる側、双方が大切な存在です。特定の価値観でその人を否定して教えていくことは、偏った矯正、矯正の「正」が、その人の偏った思いで行われている状況です。人が育っていくための時間、適切な知識やノウハウのインプット、変化するきっかけ、それを少しでも多く提供していくこと、そしてお互いが学び合うことが本質と感じます。

実効的には責任と日々の業務に翻弄され、教えられる状況ではない、という事実と向き合う必要があります。だからこそ、経営者がその事実を知って、業種や店舗形態に合わせた具体的な対策をとる、そこが現場で悩みながら問題と直面する人を支えていくことに繋がっていくと考えています。