カテゴリーアーカイブ コラム

投稿者:Shinji Sawane

蓄積する疲労、今までと違う暑さの影響

猛暑、という言葉では不十分なような連日の暑さ、身体には大きなダメージが蓄積されています。水分補給はもちろん栄養をつけることも含めて対策が必要ですが、蓄積する疲労に対しても注意が必要です。

仕事や役割をお持ちの方は、どうしても責任感から頑張ることを常としています。それは素晴らしいことでもある一方で、今回のような環境の場合には、必ずしもいい方向にばかりでるとは言えないことがあります。役割がある以上、どうしても期待される立場がありますし、果たすべき責務があります。疲労した心身であっても、やらなくてはいけないことは山積みです。

その際に、その状況をわかってくれる人、もしもの時に相談出来る人、その存在は大きな後ろ盾になります。組織の中で、役割の関係性の中で、その存在がいるかどうか、よく見直していただくことを意識する必要があります。心身に蓄積した疲労は、気持ちが折れるのに十分な下地となります。誰かが倒れてからでは、連鎖的に起きる可能性も否定できなくなります。

これだけの環境の変化のなか、これまでの普通ではなく、当たり前にこなしていた仕事や役割が、今まで以上に過酷な状況になっているということを、人を守る、支える立場の方は強く感じていただければと考えています。実際に、異常、と思えるような状況も起きつつあります。

組織、人を動かす立場の方にとって、人を守る、支える時期、それを違えないことも大切な責務になります

投稿者:Shinji Sawane

権限と責任、当たり前でもできていないこと

責任と権限、当たり前のことであっても、実際には、この責任と権限が合っていないことが多くあります。責任は乗ってくるが権限がない、と嘆く役職の方は多くいらっしゃいます。それでも必死に役割を全うしようとしますが、権限のない中では効果的な動きをできずに、結果的に自信を失ってしまいモチベーションを落としてしまう、ということが多いようです。

組織の中で、なぜ権限を委譲でないのか、どこの企業にもある問題であり、なかなか本質的な改善ができない問題でもあります。まだ与えるレベルにない、ということを理由に挙げる方もいらっしゃいますが、そうするとなぜ昇格させたのか、という別な問題が現れてきます。

実際に多くの組織の中で問題を見てくると、昇格の考え方と育てていきたい方向が分かれてしまっているところに原因がありそうだと感じます。

ひとつは、昇格の条件。何かしらの判断基準があって、それを超えると昇格、という考え方はどこの企業にもそれなりに存在しているようですが、その条件は必ずしも明確にはなっていません。もちろん人が人を判断するところですので、曖昧さ、の存在は否めません。それ自体には問題はありませんが、その段階で昇格候補の特徴をどう把握して、今後、どう伸ばしていくのか、それは誰の役目なのか、という観点は抜け落ちていることがほとんどです。

ふたつめとして、昇格後の指導ができていない、という点です。フォローする体制がある組織は確かにありますが、実際問題として具体的に業務に直結する形でフォローをしっかりしているところはあまりないように感じます。そこに見えてくるのは、上位者がどうフォローしていけばいいのかがわからない、という観点に繋がっていきます。結果、何もフォローできず、成長のポイントも把握できていないので、権限も渡せない、結果ダメ出しをするか、なぁなぁの関係になるところに落ち着きます。

これは、組織として人を育てる方法、人を伸ばす方法、が見えていないということでもあり、ゲートはあっても、支援する仕組みはないことを意味します。結果、この問題は最前線で頑張る一般職にとっての不利益という形で表れてきます。最終的には、いい人材がモチベーションを上げられずに埋もれてしまう状況になっています。

権限を私ということは、結果を保証するものではありません。上司が結果を受け入れる覚悟を持つからこそ渡せるものであり、言い方を変えれば、結果の保証を求めるのであれば、人の上に立つべきではありません。その判断をできない人が上長として存在するときに、組織の責任と権限の問題が生まれてきます。

権限を渡し、結果を受け入れることはとても勇気がいることですが、権限を渡さない人はその覚悟がありませんし、その覚悟をもった人であれば、その思いを感じるからこそ、部下は勇気をもって歩くことになります。上司と部下の関係、特に部長クラスと課長クラスの関係が組織の中ではキーになってくると感じます。勇気をもってチャレンジできる課長、その課長を支える部長の関係となれば、組織内のいろいろなお手本になる、そう思うのです。

投稿者:Shinji Sawane

言い方が気に入らない、経営者の言葉の裏側

たくさんの人とお話させていただく中で、「言い方が気に入らない」という表現はよく聞きます。言われたとおり、その通りの意味であるわけですが、実際には言い方を変えても受取ってもらえないことの方が多いように感じます。人に何かを伝えなくてはいけない時に、表面化してくる場合でもあります。

多くの場合、何かしらの指摘、提案をするようなケースでは、相手方が困っている、ということが前提として存在します。それに対して、真っ直ぐに〇〇が違っている、〇〇が問題だ、と端的に伝えることはわかりやすそうな一方で、受け取ってもらえない条件があると感じています。その困っている内容が、その人にとってどの程度消化されているのか、意外にも抜け落ちていることがあります。

心理の専門家の場合、個人であっても企業であっても、その人の話題にしたい内容が、どんな位置づけにいるのか、そこは把握する必要があります。ところが、相手が企業や団体、何かしらの役割を持っている場合には、その部分を考えないままに伝えてしまうことが多いようです。ある意味、ビジネスと割切れば、それも問題はないのかもしれませんが、実際にはそれを忘れてしまうと、双方がわかってくれない、わかってもらえない、という状態に陥っていきます。

個人の場合は、もう来なくなるでしょうし、企業の場合は契約が打ち切られることもあるでしょう。お互いが、なんとか解決しようと考えているにもかかわらず、とても勿体ないことです。そうすると、この「言い方が気に入らない」と言われてしまうような、あるいは言われてしまったシチュエーションでは何が大切になってくるのか?

実は多くの場合、言い方ではなく、言う内容が合っていない、ということになります。言っていることは恐らく正しいのでしょうが、その問題の消化具合によって、言う内容は変える必要がある、という観点になります。この部分は生もののようにライブで感じ取ること、学ぶことが必要ですが、その言葉をいう前に、何かしらのサインが出ていますので、そこに気づいていくことも大切になります。

相手をよく理解すること、とても基本的なことですが、理解したと思ったときに落とし穴が突然現れるわけです。それは、まだ理解していない部分がある、ということでもあるわけです。特に経営者、役割のある方が「言い方が気に入らない」という場合には、よくよく現実を見直す必要があります。成熟した経営者が話を聞くときには、誰が言ったか、ではなく何を言ったか、を基本にしています。その方が「言い方が気に入らない」という空気を醸し出す場合には、「今は受け取れない」に近い状況なわけです。そこに気付くことができれば、言う内容を調整していくことが可能となります。

だからこそ、よく聴く、理解する、ということは終わりなく意識し続けることとして大切なわけです。

投稿者:Shinji Sawane

人に教える、追い込む教え方に気づく

職場で新しい人が入る際には、必ずだらかがその仕事を教えていくことになります。マニュアルがあってその全てが上手く理解できるような状況であればいいのですが、必ずしもそのような状況にはなりません。多くの場合、基本形があっても、柔軟さを求められる、というのが現実解ではないかと思います。

ところが、この基本形と柔軟さ、この両者は矛盾を生むことがあります。この矛盾は、教える側は通り過ぎたこととして理解できますが、教えられる側は、そう簡単ではなく、これがその人を追い込んでいくことにもなります。

例えば接客の場合、〇〇してはいけない、△△と聞いてはいけない、などの基本形があることが多くあります。ところが、そのNGワードは、多くの人が使いやすいものであるからこそ、NGとされているわけです。このNGとされる際には、当然、現場での経験、考えた人の思いがあり、意図があるわけです。しかし実際には、ルールだけが残り、その意図はどこかにおいて行かれることになります。

そういったケースの中で、NGを先に教えられた場合、当然、使わないようにするわけですが、接客中に会話が行き詰まったり、気まずくなってしまったときに、NGワードが出やすくなってきます。これらは、オープンクエスチョンであることが多いようです。お客様の回答の選択肢が多いため、接客する側としてはクローズとクエスチョンを好むところも多いようです。

ここが意図になるわけで、お客様が決めやすいようにクローズドクエスチョンを主として使っていく、ということが狙いであるわけで、NGワードにすることが狙いではないわけです。また、お客様に気持ちよく買ってもらう、お客様を大切に扱うという観点からすれば、お客様の選択肢を広げることは悪ではないわけです。様々な状況の中で、折り合いをつけて接客をしていくことが柔軟性なわけで、NGワードを作ることが大切ではないのです。ところが、教えやすさから、NGワードを作り、実際の接客では教える側はお客様にNGワードを言うことがある、そういった姿を見せられる側は、一体なんなんだろう?と感じてしまいます。これはある意味、二重拘束のような状況で、教えられる側は日々NGを指摘され、実際の現場で違う姿を見せられれば、考えることすらできなくなっていきます。

人に教えるということは、伝えるということ、ダメだしや禁止だけではなく、意図をしっかり受取ってもらわなければ、曲がって伝わってしまうことも多くなります。そうなっては、本末転倒で、優秀な人材であっても辞めざるをえないような状況に追い込まれていきます。

指導は上から目線で出来ない人に教えるのではなく、自分が教えるべきことを的確に説明可能な状態で理解しているか、という自分に対する問いかけでもあります。その意識が、教える側の成長に繋がって、結果、教えられる側に伝わっていくことになります。

伝えることができている指導になっているか、考えてみることの大切ではないでしょうか?

投稿者:Shinji Sawane

矯正ではなく、人は育つ、を支える~販売店、飲食店の人材育成から

どこの企業であっても、人材育成、教育というものは大切だ、と考えていると思いますが、実際問題で見てみると、なかなか大切にできていない現実があるようですし、それを解決できないもどかしさに直面しているように感じます。基本的に、販売店や飲食店は人の出入りが激しい分野でもあるため、その実態を掴みにくいということも背景にありそうです。

多くの場合、新規開店の場合には、多くの努力とリソースを投入して、しっかりと基本的なことを教えていくということが行われています。それは、軍隊かとおもった、と思うくらい厳しかったという声もありますが、それでしっかり教えてもらえた、とポジティブな表現をする方が多いように思います。もちろん、開店という大きなイベントに参画できているという高揚感、無事に乗り切った達成感というものが短期間にえられるため、大変だけどやりがいがあった、と言える環境が整いやすい状況とは考えられます。

この山を乗り切ったあとに、徐々に問題が表面化してくる、というケースも目の当たりにするのが現実です。やや安定し、集客の波を含めた状況が読めるようになると、動機付けの仕方がとたんに難しくなります。厳しいときを抜けてきてるため、個々の責任感はあるのですが、それがうまくかみ合わないことが起きています。それは、ちょっとした接客の仕方、指摘の仕方、ルーチン作業のやり方など、きっかけは様々です。そういう状況が続くなかで、新たに採用される人が入ってくることになりますが、ここから大きな問題が解決されないままで浸透していくことになることが多いようです。

ここからの教育、それそのものが、多くの場合は店舗に任されていきます。その結果、店舗のスタッフの大切にしていること、コツのつかみ方など、それぞれが当然異なりますので、様々な角度で「よかれと思ってアドバイス」をしていくことになります。特に若くして責任を任される人に多くなるのは、指導しなくては、教えなくては、という強い責任感が、育つために必要な時間を忘れさせてしまうことが多いように感じます。教える側の焦りは、教えられる側への攻撃性に緩やかに変わり、本人にその気がなくとも、人を否定的に指導するやり方が増えていきます。自分も厳しい中を乗り越えてきた、という自負があることが、結果的に人を追い詰めていく不要な厳しさになっていくこともあるように思います。実際に現場で、矛盾したメッセージの発信、不信感を招く・人を否定する表現、気づいていて止められない追い込み、などとして現れているようです。現場の話を本当に聴いてく、そういったマネジメントの定点観測をしていくことから見えることの一部です。

人を育てるというのは、とても大切なこと。ただ、その前提として、人はその人のリズムで育つという考え方は必須だと思うのです。お店の理念や価値観、経営者の思い、はとても大切なものです。多くの場合、共感できる素晴らしい内容です。ところが、現場の実態は、その素晴らしいものとは矛盾した現実があります。それは、理念を体現するだ時期ではない人に、教育を任さざるをえないという現実があります。教える側、教えられる側、双方が大切な存在です。特定の価値観でその人を否定して教えていくことは、偏った矯正、矯正の「正」が、その人の偏った思いで行われている状況です。人が育っていくための時間、適切な知識やノウハウのインプット、変化するきっかけ、それを少しでも多く提供していくこと、そしてお互いが学び合うことが本質と感じます。

実効的には責任と日々の業務に翻弄され、教えられる状況ではない、という事実と向き合う必要があります。だからこそ、経営者がその事実を知って、業種や店舗形態に合わせた具体的な対策をとる、そこが現場で悩みながら問題と直面する人を支えていくことに繋がっていくと考えています。

投稿者:Shinji Sawane

管理側主導から、働く人が見通せる仕事のやり方へ

今の時代、書籍やインターネットなどで簡単に情報を拾うことができます。従来はなかなかわからなかったうつ病や発達の特徴など、誰でもある程度の情報を知ることができます。その結果、個人レベル、あるいは組織レベルで学ぶ機会は非常に増え、その結果、知識という観点では以前に比べてもとても充実している状況です。

ところが、企業の中では、やはりうまく対応できないことがよくあります。効率や生産性を必要とするために、どんなに知識を持っているとしても、予測できる範囲にその人を入れようとすることが主流となるかめ、対応を難しくしてしまいます。その予測可能な普通に入らない人を、排除するような対策も実際には起きています。そうやって、ある型にはまった人を重宝するようなことが多くなり、製造業や飲食などの分野では、人不足に陥ってしまっているようです。その結果は、排除されなかった人の負荷が増大することになってしまっています。

全てのケースの解決となる答えはありませんが、使う側にとって予測できる人、ではなく、使われる人にとって見通せる仕事、に変化させていくことも大切と感じます。多くの場合、企業側は計画を立て、その実現のために人を効率的に動かそうとしますが、実は、そのための具体策は持ち合わせていないことが多くあります。あまりにも、普通、の枠を基準にしてしまっているために、どんなに知識が増えても、人の特徴をよく理解することに使うのではなく、変えるために使おうとしているのではないかと感じています。

この知識を、人を理解するために、そして、その特徴を持つ多様な人が見通せる仕事のやり方に変えていく変化が必要で、この変化は、実際にはより多くの人にやりやすい仕事になることでもあります。その結果としてマネジメントも効きやすくなると言えます。今より生産性は落ちる部分もあるでしょうが、不効率や過負荷による損失は減る可能性が高く、何より、必要以上の生産性を変えるきっかけにもなると思うのです。

多様な働き方のの時代だからこそ、人にとって見通せる仕事のやり方にに変えることも選択肢、そんなことも大切なんだと、ヒトらぼでは考えています。

投稿者:Shinji Sawane

カウンセリングの可能性、対話を繋ぐ、思いを繋ぐ

「自分は間違っていたかもしれない」

従業員アンケートの結果を受け、ディスカッションして行く中でこぼれた、ある経営者の方の言葉。従業員を大切にしたいという強い想い、それがあっても、仕事が忙しく負荷が高まっている中で、負担を強いることになっていました。

そんな状況の中で、従業員の声を聞くという取り組みは、経営者にとっては、とても勇気のいることです。批判は当然予測でき、辛辣な言葉もあるかもしれません。聞いてしまえば、対策を取る必要がありますが、取れるのかどうかもわからず、取れなければ、聞いただけだと不信感が増す、そんな恐怖と向き合う必要があるわけです。実際にアンケートを取ってみると、従業員の言葉、想いは経営者、管理職の心を貫いてしまうことにもなりかねません。経営者は自責にかられ、管理職はそうは言っても、と自分の思いを抑え込むことになります。このままでは、経営者の想いも従業員の想いも、霧散してしまい、諦めの気持ちが強化されてしまいます。

従業員満足度などの調査は一般的に行われていますが、データ化され、傾向を伝えられ、課題を提示されても、経営側、管理職側は実際には困ってしまうことになります。これにより、従業員の思いも、管理職の悩みも、接点を持てずにコミュニケーションをよくする、などのキレイな言葉を持ち出さざるを得なくなります。もしここで、無機質になるデータにもう一度、思いを吹き込むことができたら、意味をしっかり伝え直すことができたら、選択肢は広がっていきます。多くの従業員と定期的に対話をしている第三者的な立場のカウンセラーが、アンケート内容をしっかり受け止め、様々なデータを利用して、納得性の高い、現状認識と対策に昇華させることで、経営者の受け取り方が変わります。大切なことは、真実を曲げることなく、受け取れる形にすること、そして、対策の効果を測るための指標をもつこと。それは、結果的に現状認識を裏付けるものにもなります。面接だけではく、経営者と従業員の鎹になるようなことも、実際の現場では必要になり、それは福利厚生を超えるカウンセラーの形でもあります。

支援する側が、従業員に対しても経営者に対して踏み込み、対話をしっかりして伝えていくことその結果、経営者の方も勇気を持って、歩くことができるのだと思います。過重労働の問題は、ルールを決めたからと言って解決する問題でもありませんし、監視を強くすることで和らぐものでもないように思います。

「メンタルのケアをしてれいばいい、ではなく、負担を減らす、環境を改善する、そういうことで問題が解決していくのですね」、ある経営者の方の言葉、これは簡単なようで難しいこと。それもで、この観点を利益と同じように大切なものとして考えることができるときに、大きな一歩が生まれるように感じます。

ヒトらぼでは、人を大切にする経営者の皆様を、働く人々を、これからも支援していきます。

投稿者:Shinji Sawane

カウンセリングの可能性、福利厚生を超えて

企業の中でカウンセリング、というと、福利厚生の枠組みの中に入ることが多くなります。
そのため、どうしてもコストセンター的な見方となり、費用対効果が見えにくいことにもなります。それは、メンタルの問題を抱えた方の支援、という意味でスタートした背景からも理解しやすいものです。

一方で、昨今の企業や団体の状況を考えたときに、福利厚生の枠組みで見続けることは予算的にも難しくなってきます。そろそろ、この福利厚生枠から脱却した考え方が必要なのではと感じます。

それは、実際にカウンセリングの現場で求められていると感じていることから見えてきます。仮にメンタルの問題を抱えている方であっても、その人が一方的に悪いことはなく、なにかしらの環境要因が大きく影響しています。配置換えなど多少の調整は行うことになりますが、その幅を超えることはありません。ところが、カウンセリングの現場で見えてくることは、個の特徴や問題だけでなく、組織の病理も見えてくることになります。組織の問題は、よかれと思って、あるいは、それがベストと判断して行ってきた結果、環境とずれていくことで生まれてきます。それは、組織全体の大きなものから、部門、あるいは班などの小さなグループにも起きえます。

カウンセリングで見えることは、個人の守秘義務は当然遵守するものとして、実際には一般化した問題として企業と共有しながら解決に向かっていくことが必要だと考えています。マネジメントが効いているのかを客観的に判断出来る場でもあるからです。そうすると、PDCAを意識することは企業の現場では当たり前ですが、実はマネジメントについては、なかなか回っていないのが実態です。方法がないからです。

この第3者が提供するカウンセリングが、客観的なマネジメントのPDCAを意識に繋がり、人材育成、メンタルヘルスを包括した形の起点となっていくことが、現実的だと考えています。

一部の企業様では、そういった取り組みを開始しています。簡単なことではありませんが、本気でなんとかしたいと感じている経営者の方が多いように感じます。

ヒトらぼでは、人を大切にし、本気で企業を良い方向に変えていきたい思いを、これからも支えていきます。

投稿者:Shinji Sawane

小売店でのカウンセリングの意義

企業様でカウンセリングを導入する場合、メンタルヘルス対策、福利厚生の一環として扱われることも少なくありません。入り口は特にそのあたりになることが当然とも言えます。ストレスチェックの義務化に伴い、ストレスチェックが入り口になることも多いでしょう。一方で、小売店のような店舗を複数持つ企業様の場合、ひとつひとつの店舗は50人以下となるため、実際には行われていないことが多いようです。

この小売業の場合、カウンセリングを導入するメリットは、実はメンタルヘルスを超えた形で見えてくることがあります。多くの場合、本部があり、マネージャーが地域やエリアを統括、店長が店舗を担うような構造となっていますが、個人の努力、スキルに依存する傾向があり、本部からの統括が効いていない場合が多いようですし、実際に現場は現場優先となるため、思いが双方向で伝わらないこともあるようです。また、アパレル系にしても飲食系にしても、若くし店長を任される人が多く、経験の少なさを個人の努力で補うような形になっていることが多いように思います。実際に面接の現場で見ていると、本来であれば、ルールとして展開されているべき事務的なこと、簡単な部分では備品の購入のようなレベル、あるいは設備の問題、もちろん対人関係などメンタルヘルス以外の業務上の問題が多く見えてきます。これは、日々の努力でどうにか回っている部分でもありますが、実態は、本部が思っていることとはだいぶ違うようです。また、マネージャーも多忙な中で店舗のフォローまで行うとしている一方で、的確な形で出来ているかは難しいところもあります。接客はマニュアルがありながらも、その質を定期的に確認することも難しいため、どうしても自己流が増えてしまい、それがスタンダードになり、タイプの異なる人には出来ない暗黙のルールになることもあります。これは、小売り業の特徴として見える部分で、本部から指示は出来ても、それをどう受けてオペレーションしているのか、そこで何が起きているのか、実態を掴みにくい特徴があります。マネージャーも全てを把握できませんし、実際には、本部に見えるのは、売上げと人が入ったか、辞めたか、という部分に偏ってしまっているようです。

メンタルヘルスは、労働安全衛生法を根拠に取り組みが行われますので、ポイントはそこにあります。しかし、このカウンセリング、という機会を、面接、対話という位置づけまで広げ、問題に近づくとき、あるいはそういう位置づけで見ようとしてくださる経営者の方は、組織改善、人材育成など、様々な課題を見つけ出すことになります。組織の現状を受け入れる勇気にあるように、見つけ出した結果は、必ずしも耳障りのいいものではありません。しかし、ここを率直に見つめて、取捨選択し、しっかりと対策を考えていくことができる場合に、個々のメンタルヘルスを超えた、組織のメンタルヘルスに繋がっていくように思います。店舗から本部まで、それぞれの課題、関係性、個別のフォロー、そういった部分まで広げていくことが、カウンセリングが福利厚生やメンタルヘルス対策を超える部分になっていきます。特にこの効果が高いのは、ルーチンや売上げ以外の計画が持ちにくい、小売業のように感じています。

もちろん、組織体のメンタルヘルス、という観点はどの組織でも大切になってきますし、ヒトらぼでも、そういった思いを持つ企業様と働く人々、そのご家族の皆様の力になるべく努力していきます。

投稿者:Shinji Sawane

社員を追い詰める、社員を守る、経営者の覚悟の違い

社員を追い詰める、多くの経営者の方が、やるまいと心に決めつつも、やってしまっているのではないかと不安に思うことも多いのが現実のようです。よかれと思ってやっている、守るつもりで対話している、そう思っていても、実際に異なる結果になることもあります。

面接の現場では、経営者の方がしっかり把握していることはもちろん、経営者の方からは見えなかった部分、あるいは、見せないようにしていた部分が見えてくることがあります。それは見せないでおく場合もありますし、大切なことであれば、本人の同意をもって伝えることもあります。組織でのカウンセリングである以上、多くの場合は、後者になりますが、それをどう伝えるかは簡単ではありません。多くの社員の方と話すなかで、あり得ない、信じられない、など真っ直ぐな不満を出してくれるところもあります。もちろん、内容をよく理解して、できる限り経営者の皆さんに受け取りやすい形で実態を理解してもらうことを意識しています。

それでもこの現実を見ないようにする経営者の方もいらっしゃいます。気持ちの余裕がない、そういうこともあるでしょうが、自分はしっかりやってきた、こんなはずではない、という思いがどこかに存在していると、なかなか受け取れないのは理解できます。それでも受け取ってもらえるような表現と関係性を我々は持つ必要がありますが、それが届かないこともあります。そんなときは、多くの場合は退職者が増え、その負荷が周囲に影響し、ますます苦しい状況に追い込まれていく、そんな悲しい方向に動いてしまいます。

この違いはなんだろうと考えると、やはり「覚悟」と言わざるをえません。孤独な経営者にもありますが、必死で頑張って孤独の中を歩く経営者にとって、見たくない真実でもあり、それを受け取るのは「覚悟」や「信念」以外の何者でもありません。この覚悟は、企業の大きさにとは無関係と言えると感じますし、持てるかどうかは経営者の方の意識に他なりません。周囲に信頼できる存在がいるか、という点も大きな影響を与えるようです。悪い情報が上がってこない、これはその兆しでもあります。

ヒトらぼでは、社員を守る経営者の覚悟を、一緒に持つことができるよう、幅広くサービスを提供しています。社員を元気にするために、経営者は孤独である必要はない、嫌われ役である必要はない、そんな意識で日々活動を行っています。