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たくさん考えて、悩んで

やっとの思いで結論を出す

それなのについ誰かと比べてしまう

普通を、正解を探してしまう

それが人の出した答えなら

それでいいと思う

そう言ってあげられるのに

自分には言えないときがある

そんなとき

それは何のための答えなのか

一度振り返ってみてもいい

それがもし

誰かのための思いなら

その時の精一杯なら

それを信じてあげたい

どんな人でも

大切な人のために

精一杯の答えを

いつも探している

過程にいるはずだから

どうしても結果を急いでしまうことがあります

たくさんの出来事に翻弄されて

目先のことに振り回されることがあります

きっとどんな方にでも

そんな時はあるのだと思います

大切なことを本当に大切にしていますか?

いつだったか聞いた言葉

とても真っ直ぐ入り込んできて

考えてしまう言葉

大切なもの

大切にする

何ができるのか

特別なことではないけれど

小さなことかも知れないけれど

眼差し・・・・

そしてそれにほんの少しの言動

そこに嘘がなければ

きっと何かが伝わるのではないか

そんなふうに感じるのです

2

時間に追われる

忙しいとき、やることが多いとき
そんなふうに感じることがあります

時計ばかりを気にしていると
確かに枠の中に押し込まれるような気持ちになりますね

時間を単位だったり物差しとしてだけ
受け止めるとそれも仕方のないこと

時間はいのちを刻んでくれている
そんな考え方もあるのではないでしょうか?

そうすると
今の一瞬一瞬に意味や大切さが生まれ
人の時間、自分の時間に対して
見え方が変わってくるかもしれません

刻まれる時が
今まで以上に大切なものと感じたとしたら

皆さんは今何をしますか?
明日、何をしますか?

毎日の当たり前のような日常

どうしてと思うような
予想していない気持ちの乱れ
感情の暴走

ひとつ越えると
いつの間にか、また次の出来事

平穏に過ごそうと思っても
不思議と何かが起きてしまう

そんな日常が積み重なって
同じ時間や空間を過ごすうちに

いつの間にか
味わい深い音楽のような空気が生まれる

毎日を過ごした証

いくつかの関係性がある場合
利害が一致しないことがありますよね

特にグループへの所属などは
それぞれの言い分があって
一方を選べば
他方との関係性が悪化する
当事者はとても苦しい立場になります

たくさんの話を聞けば聞くほど
だんだんと混乱して
動けなくなることもあるでしょう

そんなとき
他の誰でもない
自分自身の想いを聞いてみることも大切

特に未来の自分がどうなっていたいのか
そんな考え方も羅針盤になります

小さな選択の繰り返し
その積み重ねが今を
そして未来を作ります

選択をしていくことは
反省はあっても後悔はしない
そんなところに近づけるように思います

日々の生活に懸命になっていると、落ち着かないことや、モヤモヤした気持ちになることがあります。
それが大きくなりすぎると、毎日の生活の中で、その気持ちが気持ちを支配してしまって苦しいですね。

そんなとき、誰かと話したり、愚痴を言うことでガス抜きをしてみることもあるでしょう。
それが繰り返される中で、ふと、自分の中にある、いろいろな思いに気づくことがあります。

今までの毎日は、何気なく過ごしてきているようでも、何かしらの思いや意思を持って、気づかない中でも選択を繰り返している場合がほとんどです。

対話の中で、これまで大切にしていた「何か」に気づく、そんな瞬間があります。

その気づきを大切に丁寧に扱っていくと、これまで何気ないと思っていた出来事が、突如、意味を持ち生き生きとし始めます。

そんなとき、その「何か」を両手で大切に包み込んであげる、そんな感覚が、自分を落ち着かせてくれるヒントになるかもしれませんね。

言葉は記号、言語学ではそういう表現だろうか。

それでも実際には、言葉は人と人とのやりとりに利用され、出し手から受け手へと意味を伴って伝えられる。

その意味を真剣に考えること、その思いを真剣に考えること、薄っぺらなものではなくて、心にグッと伝わるもの。
それを大切にするあまりに、身動きができなくなる、言葉を発することができなくなる。
世界が全て止まってしまう。その瞬間から自分だけの時間が止まる。

友達からも家族とも距離が開いていくような気持になって、社会から取り残されたような気持になって、今、ここにいることが苦痛になってくる。

命、生きる、愛、時間、そんな言葉達が主体的な表現とともに、自分の中で動き始めたときに、小さくて大きな一歩が生まれるのかもしれない。

不思議な流れがある。
必要なことが必要な時に起きることもあり、上手くいかない時はどうあがいても上手くいかない。

そんなもんだと割り切る気持ちもあり、なんとか上手く行くようにもがく気持ちもある。

努力も考えることも、失敗も全て経験として捉えることも大切だし、それを否定する意味もない。

それでも、その瞬間に、その場面に、居合わせた人々や時間、その時の思い、ひらめき、言葉・・・様々なことが奇跡のように絡み合うことも確かにあるんだと、信じてみるのも悪くはない。
もちろん、その結果起きることは、コントロールすることではなく、受け入れて行く、その繰り返しが感謝して生きることなのかもしれない、ふとそんなことを考えてみる。

こういうものの考え方は大切。
定型にしても非定型にしても、分けるのはどちら側なのか、というところから既にズレが起きている。基準をどちらかにして比較分類することはわかりやすくとも、良し悪しの尺度にはならない。ルールや常識も然りで、勝者が歴史やルールを書き換えて行くことにどこか重なってしまうように感じる。

本当に相手の立場になるということが、どういうことか、よく考える機会になるテーマと言えそうだ。

https://susumu-akashi.com/2015/01/定形発達症候群/