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人それぞれの人生を歩む中で、それぞれ異なる体験を持ちます。その体験の重みは、その人にしか、その人の歩みの中でしか感じることはできませんが、時として重過ぎる何かを背負っているようなことがあります。持つことにとても大切な意味がある場合が多く、丁寧に理解していくことが肝になります。

何かしら自分ができなかったとき、あるいは、判断したことで他の誰かに影響を与えてしまったときに、その影響をとても大きく重いものとして感じてしまうことがあります。特に、大切な存在であればあるほど、その重みが増していきます。時にその重みは、その人の人生に大きな影響を与えてしまうこともあるものです。

相手に重大な影響を与えてしまったからこそ、その重みを感じ続けていくことが、「私に対する罰なんです」という表現を使う方もいらっしゃいます。それがある意味、罪滅ぼしや、赦しのような位置づけになっていることが多いようです。

一方で、話をよく聴かせていただくと、実際には判断とは思えないことだったり、状況的にベストの判断であったりすることが多く、決して罰を受けるようなことではないと感じられることもあるものです。そのような場合には、相手が既に他界されていたり、あるいは、失敗を取り返すことができないような状況と認識していることが背景にあるようです。

そのような方は、多くの方に「そんなの気にしなくていいことだよ」「あなたのミスじゃないよ」「仕方なかったことだよ」と何度も言われながらも、それを消化できないわけです。状況にもよりますが、そういった場合は、その出来事からこれまで、そしてこれからのの意味付けを、一緒に考えなおしていくようなアプローチをすることで、新しい一歩を踏み出すお手伝いをさせていただくことが多いあります。

そのためには、その人にとってどんな大切な人だったのか、どんな思いでこれまで歩いてきなとか、その大切な物語を聴かせてもらい、寄り添っていくことが大切だと感じています。

心の中の出来事だからこそ、丁寧にひとつひとつ、その人のリズムで一緒に歩くことが必要だと、意識しなくてはいけない世界と考えています。

長い時間をかけたものでも

手間をかけたものでも

永遠に続くものではなく

いつか役割を終える時がきます

残念なことでもあり

寂しいことでもあるけれど

それでも役割を終えることは

次に繋がる一歩でもあります

いい関係でずっと続いた仕事

関係を維持するために努力した日々

それでも終わりが来ることはあります

役割を終える時なのだと

感謝の気持ちで見送ること

感謝の気持ちで舵を切ること

大切なことなのかもしれません

役割を持つ者にとって

引き際・・・・大切なことなのだと思います

春になると、役割や立場の変化があります

身近な人の立場が変わる時

その影響が思いのほか大きいことがあります

大切な存在だからこそ

その変化を受け入れるのが難しく

頭ではわかっていても

心がついていかないこともあります

特に、人の成長が伴う場合には

大きな一歩を踏み出す側と

大きな一歩を見送る側とでは

その感じ方が異なります

そんな時、見送る側が持つことがある

寂しくて嬉しくて、という矛盾した気持ち

その気持ちを持てるほど

たくさんの愛情を注ぎ込んできた

それが安心と信頼を育て

その結果、安心して踏み出せる

その人が旅立つ土壌を育てた

決して、寂しさが埋まる理由にはなりませんが

踏み出す側にとっても

見送る側にとっても

誇らしいことなのではと

そんな風に感じます

たくさん考えて、悩んで

やっとの思いで結論を出す

それなのについ誰かと比べてしまう

普通を、正解を探してしまう

それが人の出した答えなら

それでいいと思う

そう言ってあげられるのに

自分には言えないときがある

そんなとき

それは何のための答えなのか

一度振り返ってみてもいい

それがもし

誰かのための思いなら

その時の精一杯なら

それを信じてあげたい

どんな人でも

大切な人のために

精一杯の答えを

いつも探している

過程にいるはずだから

いくつかの関係性がある場合
利害が一致しないことがありますよね

特にグループへの所属などは
それぞれの言い分があって
一方を選べば
他方との関係性が悪化する
当事者はとても苦しい立場になります

たくさんの話を聞けば聞くほど
だんだんと混乱して
動けなくなることもあるでしょう

そんなとき
他の誰でもない
自分自身の想いを聞いてみることも大切

特に未来の自分がどうなっていたいのか
そんな考え方も羅針盤になります

小さな選択の繰り返し
その積み重ねが今を
そして未来を作ります

選択をしていくことは
反省はあっても後悔はしない
そんなところに近づけるように思います

日々の生活に懸命になっていると、落ち着かないことや、モヤモヤした気持ちになることがあります。
それが大きくなりすぎると、毎日の生活の中で、その気持ちが気持ちを支配してしまって苦しいですね。

そんなとき、誰かと話したり、愚痴を言うことでガス抜きをしてみることもあるでしょう。
それが繰り返される中で、ふと、自分の中にある、いろいろな思いに気づくことがあります。

今までの毎日は、何気なく過ごしてきているようでも、何かしらの思いや意思を持って、気づかない中でも選択を繰り返している場合がほとんどです。

対話の中で、これまで大切にしていた「何か」に気づく、そんな瞬間があります。

その気づきを大切に丁寧に扱っていくと、これまで何気ないと思っていた出来事が、突如、意味を持ち生き生きとし始めます。

そんなとき、その「何か」を両手で大切に包み込んであげる、そんな感覚が、自分を落ち着かせてくれるヒントになるかもしれませんね。

言葉は記号、言語学ではそういう表現だろうか。

それでも実際には、言葉は人と人とのやりとりに利用され、出し手から受け手へと意味を伴って伝えられる。

その意味を真剣に考えること、その思いを真剣に考えること、薄っぺらなものではなくて、心にグッと伝わるもの。
それを大切にするあまりに、身動きができなくなる、言葉を発することができなくなる。
世界が全て止まってしまう。その瞬間から自分だけの時間が止まる。

友達からも家族とも距離が開いていくような気持になって、社会から取り残されたような気持になって、今、ここにいることが苦痛になってくる。

命、生きる、愛、時間、そんな言葉達が主体的な表現とともに、自分の中で動き始めたときに、小さくて大きな一歩が生まれるのかもしれない。