<コラム>時間と向き合う、いのちと時間


生きる、ということに関わらせて頂きながら、その手強さを感じる概念に、「時間」というものがあります。

この時間は、普段は時計という物差しを使って理解することになりますが、これはどちらかというと未来に対して使いやすい理解であって、今、にはあまり役立たないように感じています。いつ、どこで、という考え方は、仕事や人間関係の中で必要になるものではありますが、面接の現場ではそれ以上に重要になっていく部分もあります。特に、必死でもがきながら歩いている方ほど、時計という物差しでは測れないものです。

TAの創始者であるエリックバーンも、この時間の概念については、著書の最初の段階で大きな問題にしながらも、時間の構造化、という考え方以降、話題の中心にあがることが少なくなります。大切でありながらも、扱いにくい分野なのではとも感じます。

時間、これを生きることにつなげてシンプルに表現するならば、時間をどう使うか、時間をどう潰すか、それが生きること、とも言えると思うのです。生を受けた全ての人に分け隔てなく与えられるものは、命であり、それは生きる時間であるとも捉えることができます。その時間をどう過ごすのか、それが実は人の本質的な命題でもある、というのは大げさではないと思います。

人は、成長、向上心を糧として先へ先へと進んだ結果、社会を構造化し、構造化された社会が予測・予定を前提に動くようになり、それは時計で測る時間が前提になり、その流れに入れない場合ははじき出されてしまうような仕組みになってしまっています。

はじき出されてしまった人にとって、この時間と向き合うということは、途轍もなく途方もない作業になることになります。仕事や家庭を営むためのルーチンがなくなる、あるいはかなり制限されることになり、行動で構造化できない時間は、思考で構造化することになります。ところが、思考での構造化をしようとすると、哲学的にあるいは、ある一点をとことんまで突き詰めてしまうことにもなります。

望む、望まないに限らず、はじき出されてしまった人にとって、突然襲ってくる有り余る時間、先の見えない時間は、時計という物差しの意味を無くし、果てしない永遠に続く恐ろしいものに成りかねません。こういった面接の場面では、常識や一般論はまったく意味をなしません。社会性や向上心、ポジティブ思考なども、時の深淵に飲み込まれていきます。

そんなときに大切なのは、何かをすることや何かを解決することではなく、そこにいる、ともにいる、それが物理的でないとしても、そこが出発点になると考えています。

問題は解決しなくとも、その一瞬を共有することができれば、それこそ時間の概念を超えた安心や関係性が生まれるように思います。懸命に命と向き合う人にとって、ほんの小さな小さな希望のかけらになれたらと、面接の場面では考えています。

皆さんにとって時間はどんな意味を持ちますか?

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