私自身専門家として意識していることでもあり、ちゃんと出来ているのだろうか、と自問するテーマでもあり、面接のたびに振り替えるテーマでもあります。
DVやストーカー、あるいは性犯罪の被害を受けた方にとって、支援体制が充実し始めているとはいえ、決して十分なものとは言えません。その対応を専門家、という観点で考えてみると、専門家が専門知識という営利な刃で相談者を傷つけてしまうことがあります。その刃はその専門家の方にとっては、当たり前のことかもしれませんし、常識なのかもしれませんし、現実的なのかもしれません。
それは相談者の観点で見たときに、現実的なのか、はまた別問題だと思うのです。実はとても簡単な話でもあるのですが、専門家にとっての優先と、相談者にとっての優先があって、どちらの優先しているのか、ということなのです。多くの場合、専門家の優先がとられているように感じます。多くの場合、相談者はそれ以上、そこには行きませんし、その時の思いを伝えることもありません。その結果、気づくことができず、専門家が同じことを繰り返しているようなケースもあるようです。
私自身、相談者の方と支援関連の組織に伺ったり、後で状況を確認したりするのですが、残念ながら、失望に包まれることが多くあります。入り口の段階で相談者、つまりは被害者とその時点で思われる方に対して、なんの意図があってか根掘り葉掘り聞くだけ聞いて相談者の落ち度を指摘するケースが多いことです。また、相談のアポイントを受けておきながら、うちに来られても対応できません、と突き放したケース、あるいは、そんな過去を振り返るより未来を向きましょう、などと正論だけの対応を返す場合、様々な対応を目の当たりにし、その対応が専門家の手によるものだ、ということがとても残念なことです。実際には専門家の杓子定規的な対応が起点となって、その後の人生が大きく狂ってしまうことも起きてしまいます。
専門家の武器は、専門知識であり、その専門知識で相談者を支援することが役割ですが、その専門知識は凶器にもなることは意識しなくてはいけません。専門家である以上、相手が受け取ることができるボールを投げる、それこそが専門家が専門家である意味だと思うのです。
DVやストーカー、あるいは性犯罪、福祉や心理を含めた他の様々なケースで相談が必要な方は、人生の中で大きな衝撃を受けている状況でもあり、そこに向き合おうとすること自体が、とても勇気と力のいることです。その奮い立たせた勇気を摘み取るのが専門家であることがとても悲しいことです。
専門家には、専門知識+想像力というものが必要だと感じます。だからこそ、専門家は人の心を学んでほしい、そう思うのです。
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