個人から組織までの対人サービス HPコラム,人、自分を理解する <コラム>人の、自分の特徴を知る、病気?と思う前に

<コラム>人の、自分の特徴を知る、病気?と思う前に


様々な情報が簡単に手に入る中で、発達障がいというキーワードも多くの検索結果を得ます。自分はどうしてできないのか、なぜこんなに苦しいのかと悩みながら探す人、仕事を任せる立場として、どうやったらいいのだろうと考えながら探す人、それぞれがなんとかしようという思いに他なりません。カウンセリングの現場でも、私は発達障がいなのでしょうか?、〇〇さんは発達障がいなのでしょうか?という問いは増えてきているように思います。

もちろん、発達障がいかどうかは適切な医療機関の診断が必要になりますが、何かしらとっかかりが必要な状況であることは間違いありません。こういったケースで少し意識して欲しいことは、発達障がいの傾向は、実は多くの方に多かれ少なかれあるということです。世に出ているチェックシートを見れば、なんとなく当てはまるところは多い物です。その強度や周囲の環境によって生きにくい部分は人によって異なります。

ここでひとつ忘れて欲しくないことは、発達障がいが明確に当てはまらなくとも、明らかに強い特徴がある方がいる、ということです。それは、「感度の高さ」という特徴であり、「敏感」とも言い換えることができます。カウンセリングの現場でも比較的多いと思いますが、この敏感さ、というものは、周囲から見れば心配しすぎ、気にしすぎ、と取り合ってもらえないことが多く、本人の中では精神的な負荷が非常に高くなるという、なかなか理解してもらえない問題があります。気遣いが出来て、周りをよく見て、そんな特徴を合わせ持つことが多いため、余計に助けの手を差し伸べてもらえないわけです。

これは、他の人が気づけないことに気づく気からであり、他の人が “1” にしか見えない物が、たとえば、”0.1″ 刻みで見えてしまうということです。わかってもらえないことですが、情報量が人の10倍であれば、それを処理する力も同様に消費する、その人にとっては、何気ない一日も終わってしまえば疲弊しきってしまうようなことになるわけです。こういった方に対して、気にしすぎだよ、ということはとても残酷なことです。見えないものが見える、気づけないことに気づけるという特徴ですから、自身で感度を調整することは決して簡単ではありません。

こういったケースでは、その人の特徴に対する理解とできる限りの環境調整(実際には話し方や声かけ、振る舞い)、そしてプラスのストロークが有効に働くように思います。自分にとっての当たり前は、相手にとっては当たり前ではないかもしれない、この当たり前で忘れがちなこと、この立ち位置にいることで、自分とは異なるひとりひとりを大切にできる可能性は広がっていきます。そんな寛容さが、少しでも広がればいいと感じています。

みなさんは、なんで他の人は気にならないのか、と思ったことはありませんか?

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