職場で新しい人が入る際には、必ずだらかがその仕事を教えていくことになります。マニュアルがあってその全てが上手く理解できるような状況であればいいのですが、必ずしもそのような状況にはなりません。多くの場合、基本形があっても、柔軟さを求められる、というのが現実解ではないかと思います。
ところが、この基本形と柔軟さ、この両者は矛盾を生むことがあります。この矛盾は、教える側は通り過ぎたこととして理解できますが、教えられる側は、そう簡単ではなく、これがその人を追い込んでいくことにもなります。
例えば接客の場合、〇〇してはいけない、△△と聞いてはいけない、などの基本形があることが多くあります。ところが、そのNGワードは、多くの人が使いやすいものであるからこそ、NGとされているわけです。このNGとされる際には、当然、現場での経験、考えた人の思いがあり、意図があるわけです。しかし実際には、ルールだけが残り、その意図はどこかにおいて行かれることになります。
そういったケースの中で、NGを先に教えられた場合、当然、使わないようにするわけですが、接客中に会話が行き詰まったり、気まずくなってしまったときに、NGワードが出やすくなってきます。これらは、オープンクエスチョンであることが多いようです。お客様の回答の選択肢が多いため、接客する側としてはクローズとクエスチョンを好むところも多いようです。
ここが意図になるわけで、お客様が決めやすいようにクローズドクエスチョンを主として使っていく、ということが狙いであるわけで、NGワードにすることが狙いではないわけです。また、お客様に気持ちよく買ってもらう、お客様を大切に扱うという観点からすれば、お客様の選択肢を広げることは悪ではないわけです。様々な状況の中で、折り合いをつけて接客をしていくことが柔軟性なわけで、NGワードを作ることが大切ではないのです。ところが、教えやすさから、NGワードを作り、実際の接客では教える側はお客様にNGワードを言うことがある、そういった姿を見せられる側は、一体なんなんだろう?と感じてしまいます。これはある意味、二重拘束のような状況で、教えられる側は日々NGを指摘され、実際の現場で違う姿を見せられれば、考えることすらできなくなっていきます。
人に教えるということは、伝えるということ、ダメだしや禁止だけではなく、意図をしっかり受取ってもらわなければ、曲がって伝わってしまうことも多くなります。そうなっては、本末転倒で、優秀な人材であっても辞めざるをえないような状況に追い込まれていきます。
指導は上から目線で出来ない人に教えるのではなく、自分が教えるべきことを的確に説明可能な状態で理解しているか、という自分に対する問いかけでもあります。その意識が、教える側の成長に繋がって、結果、教えられる側に伝わっていくことになります。
伝えることができている指導になっているか、考えてみることの大切ではないでしょうか?