<コラム>向上心、速度、生き様


もっと急いで、もっとしっかり。

仕事をしていても学校の中でも、社会の時間の流れというものは人を追い立ててしまうことが多いものです。向上心という肯定的にとらえられることですら、他者を攻撃するツールになってしまうことが日常の中に当然のこととして埋め込まれていきます。誰しも、もっとよく生きたい、今よりもよく、という気持ちはあって当然のものかもしれません。それが成長に繋がっていく一部とも言えますし、それがモチベーションになることも当然と言えます。

一方で、その向上心は、そこに社会的な目的がない場合には、強烈なエゴとして存在していきます。そのエゴが自分の内側に向いているうちは、その人の動機づけになりますので、プラスの動きをしていきます。しかし、それが周囲に向けられたとき、強力な凶器・狂気となってしまうことがあります。

同じグループ、組織などに属している場合、同じ方向を見ることは大切なことですが、同じレベルを求めていくことはとても恐ろしいことでもあります。多くの場合、「努力が足りない」「やる気がない」などと非難され、挙句、「才能がない」「おかしい人」と偏見が強まっていきます。

ところが実際にはそんなことはなく、その人の置かれた状況の中で、最大限の努力をしていることのほうが多いわけです。その努力の質や客観的に見える「見え方」が、自分の思いと異なる場合、その向上心は凶器となって襲っていくことになります。そして多くの場合、その向上心は肯定されてしまうことになります。

人には人のいきる速度がある。

それはその人の置かれた環境であり、育ってきた過程であり、体験の積み重ねの上の経験であり、その生き様すべてが含まれています。それは評価すべきものではなく、認め受け入れていくものだと信じています。結果や成果が優先されることは社会の中で当然起こりえる部分でもありますが、結果や成果のために誰かの生き様が否定されるのであれば、それは違うと思うのです。

生きることは、その人の歩みであり、誰かに速度をコントロールされるものではありません。多くの違う速度があるからこそ、多様な見え方と、人の成長に必要な速度が生まれると思うのです。速さ、が優先される世界ではなく、生き様が優先される、加速することだけが善ではない、そんな空間、そんな場所でありたいと、ヒトらぼでは考えています。

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