ご両親が子どものことに関して相談する、このこと自体がとても難しいと改めて感じます。学校であれば、今ではスクールカウンセラーさんや巡回カウンセラーさんなども増えてきているため、そこを起点に相談に繋がりやすい形はできていると言えます。もっと早い段階では、1.6歳児検診や3歳児検診などをきっかけに繋がる仕組みができています。
一方で、ある程度の年齢、青年期と言われる時期に入ると、極端に相談が難しくなる、結果としてそうなっているという実感があります。社会人になってしまうと社会人なのだから自力でという思いや、親として世話を焼きすぎてはまずいのではないかという思い、あるいは、助けてあげたいが、どうしていいのかがわからない、そんな思いもあるかもしれません。世間体やプライドも邪魔しているかもしれません。いずれにしても、相談に繋がる機会、というものが非常に少ないように思います。
実際の相談の現場でも、何かしらのきっかけで外に出られなくなった、働けなくなった、といったご両親が相談に来ているのは、短くて1年半程度、長ければ5年、6年とご両親だけで頑張っている状況があります。その観のご両親の思いや、当事者の思いは、相当なものではなかったかと思います。しかも、その思いが交錯してしまい、同じ方向を見ることができなくなることも多くあります。
こういった問題に、こうしたらいい、という特効薬のようなものは存在しないと私は考えています。そうかと言って、当事者だけの自己責任として何もしない、というのも良い解とは思えません。
時間がかかることではあると思います。それでも、誰かと関わる、他の人の力を借りることで、少しでも前進できる可能性を広げられるのではないか、そんな形がもっとあっていいのではと思います。
公認心理師の資格制度ができ、カウンセラーの国家資格が創設されました。遠い将来、やはり歯科診療の分野のように自由診療との混在かもしれませんが、保険適用が更に広がり、カウンセリングがより社会に普及することも見込まれるのではと考えます。
スクールカウンセラーの先のカウンセラーの介入、もしくはカウンセラーへの相談。私自身の経験も振り返りながら、私はカウンセラーを、人生を楽しみ、ちょっと戦略的に生きるために頼る、間口は小さいけれど信頼できるサポーター窓口のように捉えたりもします。
共に時代を作ろうと意気込むときのみなず、人間が歳を重ねるにつれ経験する生物学的変化にまつわる悩みや難しさなどを感じながら共に生きるというところで、人間同士のつながりを大事に思うとともに、そのつながりの難しさも一生、感じとりながら生き、誰の人生にもカウンセラーが大事な役割を果し得るときがあるんじゃないかと考えます。
ヒトラボさんの、特効薬は存在しないという言葉にも、私なりに共感しながら、また、そんな形がもっとあっていいのではという言葉には、広く、基礎的教養として普及する心理学というのもぼんやり思いながら、やはり共感です。
ジーンW様
コメントありがとうございます。
国家資格として認定が始まりましたが、カウンセラーというものがなんなのか、と考えていくと、なかなかすっきりするものはないように思います。専門家でありながらも、医療とはやや異なる、そうするとどんな役割かが難しいものでもあると感じます。ジーンWさまのおっしゃる通り、カウンセラーはサポーターのようなものではないのかなと感じています。親でも友人でもない、第3の選択があってもいいように思います。そういう意味で、カウンセラーという専門性は、その人自身の在り方のようにも感じています。少しでも、いい影響が与えられる活動ができればいいなぁと日々考えています。
返信を頂き、ありがとうございます。サポーターではあるけれど、自ら窓口を訪れて力づけてもらうというのが、人の成長を促し得る大事な機会につながる要素と考えます。ただ、一方で、心理学の観点から眺めるということを社会に広めていくというところで、何かしらの積極的な働きかけが、別途、大事になってくるようにも感じられます。
ジーン.W様
ご返信ありがとうございます。
少しでも、社会に貢献、還元できるよう頑張っていきます。