子どもと向き合う覚悟


子どもが学校に行かなくなる、それはご両親からすると突然の出来事で、なかなか受け入れ難いことかもしれません。なんとかして学校に行かせたい、そんなふうに思うことも当然の気持ちかもしれません。

多くの面接の場面で、その時に、子供をどれだけ理解できているのか、は大切なポイントであるとあらためて感じます。ご両親の思いとしては、学校に行って欲しい、あるいは、少し休めば大丈夫なのではないか、今はそっとしておいてあげよう、様々な思いが駆け巡り、時として、自分の育て方が悪かったのではないか、どこかで判断を間違えていたのではないか、そんな後悔の気持ちが生まれてくることもあるでしょう。

子どもを理解しようとしていても、どこかで理解しきれない、受け取れきれないという部分があり、子どもの問題を、育て方や病気、あるいは学校の環境の問題に向けてしまうこともあるでしょう。

子どもを理解する際に、ご両親のこれまでの経験や様々な情報をもとに理解しようとしても、なかなか解釈の域を出られないように思います。理解するということは、相手の世界観を理解することを含みますので、納得いかないことやわからないことを含めて受け取っていく必要があります。それはとてもエネルギーが必要なものです。一方で、日々の仕事や家事、経験から受け取る常識という枠など、理解するために向けるエネルギーを他で消費してしまう要因は多様です。そうなると、どうしても理解しているつもり、わかっているつもり、で止まってしまい、なかなか理解までには至りません。その理解されていない、わかってもらえない、という感覚は子供には明確に生まれますし、ご両親側には、こんなに努力しているのに、という思いが生まれます。その結果として、あなたのためを思って、という子供が受け取れない言葉として表出してしまうこともあります。

この理解するということ、とても覚悟が必要なことです。自分の経験とは違う世界、自分の常識とは違う世界を受け入れていくことだけでなく、ご両親それぞれが変わっていくこと、さらにはご夫婦の関係自体にも影響を与えていくものでもあるためです。忙しい中で、その覚悟を持つことは大変なことかもしれません。それでも、何が大切かを考えてみれば、避けては通れないことでしょう。だからこそ、覚悟を持つために、他者の力を借りることはひとつの選択肢であると思います。自治体や専門家、あるいは信頼できる仲間、その形は何であれ、ご両親が変化し、幅を広げていくための覚悟を持てる環境、それが必要なのではないかと考えています。

「子どもと向き合う覚悟」への3件のフィードバック

  1. 文章を読ませて頂いて、私なりに自分自身のことも顧みながら、考えてみました。
    「迷う」ということがあります。徒らに優柔不断なのは、大人として、好ましくないこととなることでもあるように感じられます。ですが、私は、「迷う」というのは、このままではいけないんじゃないかという、危機感を持っているときでもあるように考えます。迷ったら、立ち止まって自分の心に耳を傾けてみるのは、次の大事な一歩を見つけるのに、価値あることになり得るのではないでしょうか。
    どんなに立派なキャリアを積み重ねてきたとしても、どんなに心から望んだはずの子供であろうと、子供にどう関わっていくか、親として真剣に悩みながら、自分でも思いがけないような迷いに直面することもあるのではないでしょうか。
    そのようなときに、選択という結論を急がず、じっくりと自分の心に耳を傾けながら自分自身の人としての次の一歩を大事にしたのなら、それは親子関係にとっても意義あることなのではないでしょうか。
    そのような経緯で、親となった大人がカウンセラーのもとを訪れることも、多分にあり得るんじゃないか、そう考えました。

    1. ジーン.W様

      コメントありがとうございます。
      「迷う」というのは、必ずしも悪いことではないと、私も考えています。ただ、迷い続けるのは苦しいですので、選択肢を並べて、選ぶ時期を待つという感覚でいいのではないかなと思います。当事者からすると、それも苦しいと感じることもあるでしょうから、誰かの力を借りながら、待つこともあっていいと考えています。

      1. 返信を頂き、ありがとうございました。

        その後、しばらく前に「あなたのために」という言葉を用いる危うさについて考えさせられる機会がありました。親が子供のことで悩んだときにも、やっぱり、苛立ちや焦りに掻き立てられるようにして、「あなたのために」という言葉を口にしたり、「あなたのために」という言葉のもとに何かを強いるようなことをしてしまったり。

        子供をもうけた親も、たどれば、自分のために、自分で道をたくましく歩み始め、自分達の子供を授かり、この子のためにという努力もたくさん積み重ねてきたはずです。その親が、苛立ちや焦りから、あなたのためにという言葉にブレーキがかかりにくくなってきたとき、それは子供が、自分で、自分のために、と歩みを進めるべくもがいているときなのではないでしょうか。

        いつか、親が、あなたのために、と何かを差し伸べることが本当に難しくなる日が来るからこその苛立ちや焦りだったとしても、その現実から離れるのではないにしろ、あなたのために、を差し控えられる距離感も大事にするべく、親にしても、カウンセラーを頼る機会が有用であることがあるのではないか、そのようにも考えました。

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