個人から組織までの対人サービス HPコラム 信頼しているつもり、の錯覚

信頼しているつもり、の錯覚


信頼しているつもりが、その人の一方的なものである、仕事の場面でもプライベートの場面でも起こり得ることです。

 

職場では、その人を信頼しているから任せる、もっと成長して欲しいから任せる、期待しているから任せる、などが起こりやすい形になり、プライベートでは、同じ気持ちだと思っていた、言わなくてもわかると思っていた、それが当たり前だと思っていた、という思い込みという形で表れやすいものです。それぞれが、当たり前のように、当然のように繰り返されていきますが、あるきっかけを境に、そうではなかった、と気づかされることが少なくありません。

 

職場の場合であれば、それは相手にとっては負担になっている、あるいは、条件と合わない仕事への不満が蓄積する、などの形となり、気づかないうちに信頼とは程遠い関係になっていきます。この場合の最悪は、退職願いが出てくることです。優秀だと思っていた、期待をかけていた人が、突然舞台を降りるわけです。

 

プライベートの場合では、相手に求め続けていることに気づかず、積み重ねていく結果、相手にとっては、限界となり、もう持ちきれなくなることがあります。それは、子育てであったり、役割であったり、モラルなどの視点で行われ、もう無理だと感じた段階で関係性が終了してしまうことになります。

 

いずれの場合であっても、一方的な思い込み、というものが存在します。しかもそれがポジティブなものだけに、当事者には気づきにくく、自分は正しくやっている、間違っていないという錯覚に陥ることになります。そこに力関係が存在していることの把握していないことや、情緒的な部分がどうなのかを見落としていることが多く、関係が切れてから途方に暮れてしまうことになります。

 

何れの場合であっても、相手が自分と同じ思いだ、と錯覚してしまっているところがあります。同じ仕事をしてきたから、一緒に暮らしてきたから、といって、機能的なやりとりが中心となり情緒的なやりとりがなくなってしまえば、齟齬に気づくことができません。

 

もし思い当たることがあるようでしたら、相手の立場や思いを想像することや、本当にそうなのだろうかと考えてみることが、関係を改善していく最初の一歩になるかもしれません。

 

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