大切なことを、大切にしていますか?
ある方が、言っていた言葉。まだ、会社員だった頃の研修だったでしょうか。シンプルで有りながら、不意を突かれたような言葉。波紋のように自分の中に染みこんでいくものでした。その後、僧侶の方主催の、死の体験、というワークショップを体験させていただいた際に、大切、ということを追体験させて頂き、より深まったように思っています。
この言葉を、面接の場でよく感じることがあります。それは、夫婦関係に関する話題になるときです。夫婦やパートナー同士の関係として様々なスタイルがあり、それぞれの個性がありますので善し悪しで判断するものではありませんが、この関係性の中で苦しんでいらっしゃるケースも多いように思います。
話題の中心は、人により様々ではありますが、諦めきっていることがほとんどです。これまでの沢山の努力の中で疲弊してしまって、全てを飲み込んでしまっている状態に感じています。それでも頑張って進んでいる姿は、よく頑張れているなと思うほどです。今の状況を改善したい、と話しながらも、自分ではもはや打つ手はなく、その改善は相手次第という雰囲気も漂います。そうなると、このまま続いたら精神的に、身体的に大丈夫かなとも心配にもなります。
相談する方が、自分でこの問題をなんとかしていきたい、という状態であれば、様々な関わりかたもありますが、そうでなければ、積極的な深入りはしないことになります。
そんな時、よく考えるのは、この方にとって大切なことは、なんだったんだろう、相手の方にとって大切なことはなんだったんだろう、ということです。少なくともパートナーとして選んだ相手ですから、はじめから嫌いではなかったでしょう。生活をする中で、社会の中で、様々な出来事や立ち位置によって、その瞬間に選ぶべきものがあり、その時の考え方や優先するものが双方で異なっていたのかもしれません。双方の意識、考え方があまりにも違い過ぎたのかもしれません。
ひと昔前であれば、どちらかが我慢することで成り立っていたと思いますし、耐えることが大切のような考え方、風潮もあったと思います。その耐えるお手本足るべき存在が、直ぐそばにいたのかもしれません。
しかし、今は理不尽な忍耐を求めない環境も、不十分ながら少しずつできているように思いますし、そうなるべき情報量も増えています。そう考えると、差異があったときに、どう乗り越えるかは、耐えるの、一択ではなく、様々な形があっていいように思います。
多くの場合、差異に気付くときは、何かしらのアクションが必要なときです。この必要なアクションのとらえ方が異なっていると、それぞれの意識がズレてしまい、相互理解が進まなくなります。こんな時に、お互いの思いや考え、優先すべきこと、大切にすべきことを整理、共有していくプロセスも必要になります。
大切なことは、一過性のものではなく、長く保たれることと考えています。日々の出来事、社会で生きるために起きる様々な出来事の瞬間に振り回されることにならないよう、お互いの理解を深めることが大切だと思います。面接現場で感じる、共に歩むことができているパートナー関係の場合は、この部分に対して、丁寧に関われているように思います。
みなさんも、大切なことを、大切にできていますか?
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